日本を離れて11年。豪州メルボルン在住、一人旅が大好きでブラジルやキューバなどのラテン音楽にぞっこん猿の私の地球旅日記。 本家「大江戸カンガルーSAMBA CARAMBA!」から旅日記だけこちらに移転。さらに進行予定。本家ブログもどうぞよろしく。
"If your soul is no stranger to you, the whole world is your home"
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2008/03/16 ---- イグアスの滝の話とみせかけてイスラエル人の話
2007/12/22 ---- ブラジル・バスの旅 居眠りは計画的に
2007/10/31 ---- サンパウロの日本人街2 ブラジル移民100周年
2007/09/26 ---- サンパウロの日本人街 1
2007/09/22 ---- 黒い鶏とタツノオトシゴ Porto de Galinhas, Maracaípe
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新年明けましておめでとうございます。
私の年が始まりましたよ。私のご学友であらせられるダン夫人曰く「年賀状にするといまいちかわいくないんだよねー」、そんな猪な年です。中国人の干支にいたってはブタ年です。そんな2007年は、年女な私にはスバラシい年になるに違いない。どれだけスバラシいかというともう皆と分け合えるほどのスバラシさ加減。今年皆様に訪れる数々の幸せは私から回ってきたと思ってまず間違いないでしょう。世界平和。猪突猛進。
というわけで、帰ってきました、キャンプから。全部で5日。
メルボルンから南西の方角に3時間半程ドライブしたWarrnamboolというところ。(日本語表記はウォーナブルでいいのかな)。良いとこでした、本と。
ここのキャンプサイトの一角はもうチリ人村。集まる人々ももう20年以上も毎年同じスポットにキャラバンを乗り入れる人達で、私の友人家族もその一員。皆でっかいキャラバンやらテントやらその合体ものに住んでいて2,3週間滞在しています。
キッチンやリビングやベッドルームなど完備されてる上、皆冷蔵庫やらテレビやらDVDやら食器棚やハンガーラックなどなど持ち込んでてもう立派な家です。
ビーチまでは裏庭感覚、歩いて1分です。老いも若きもわいわいと楽しい時間を共有して、ラテン音楽が常に流れ、皆それぞれビーチに行ったり、釣りに行ったり、キャラバンパークの向かいにあるきれいな公園に行ったり、昼に夜にただただあっちの家(テント)やこっちの家(キャラバン)に集まって雑談したり、夜には大きなスクリーンを持ってきて野外映画を上映する人がいればマニーという南米で売ってるピーナッツの加工品やチュロス(スパニッシュドーナッツ)を作って売る人もいて、一緒に食事に呼ばれたり、昼から夜から好きな時に好きなだけ飲んで、ほんとに村のようでいい風景でした。一緒にたむろってる皆はチリからオーストラリアへの移住時代(私の身近にいるチリ人はだいたい20~30年前に来た人達が多い)からメルボルンで一緒に育った人達で昔からの顔なじみばかりでもう一族です、血縁関係でない親族。そしてその子供達も又、いとこや兄弟のように育っています。世代を超えて皆が交流しているのがすごく素敵。ラテンDJやラッパーを普段メルボルンでやっている人たちもこの”親族”で、家族と一緒にやって来ていて今週末はステージをビーチに持ち出して、ビーチラテンパーティーが行われる模様。私は用事があって先にメルボルンに戻ってきてしまいとっても残念。
何でも一昔前はオージーもラテン系もバラバラにキャラバンパークのあちこちに配置されていたらしいのですが、夜もずっと音楽を流したり騒いだりするラテン式ホリデーと、夜は静かに寝たいオージーキャンパーの間でいざこざが絶えず、ラテン系はパークの一番奥に皆追いやられた模様。でもおかげで極楽なラテン村が毎年出来上がっています。前述のラテン系キャンパーによって毎年行われるラテンビーチパーティーには地元のオージーの若者も聞きつけてわざわざ遊びに来るらしい。
それからそれから、Warrnamboolでは鮑が取れるのです。ア・ワ・ビ!あ・わ・び!友達のお父さんもアワビ漁ライセンスを持っていて、日に5個という制限付きでちょこちょこ取ってきます。私が滞在中もすごく大きいのをたくさん取ってきて嬉しそうでした。NYE(大晦日)のご馳走はイセエビにアワビにシーフードサラダというキャンプと思えぬ超豪華食事で幸せでした。
私は頼まれてナプキンで折り紙をしてプレゼンテーションのお手伝い。
最後はメルボルンに戻る昼の電車を逃して夕方まで待つというオチ付きで終わった私の年またぎキャンプ。
本当に楽しかったです。Muchas gracias, La Moras.
私の年が始まりましたよ。私のご学友であらせられるダン夫人曰く「年賀状にするといまいちかわいくないんだよねー」、そんな猪な年です。中国人の干支にいたってはブタ年です。そんな2007年は、年女な私にはスバラシい年になるに違いない。どれだけスバラシいかというともう皆と分け合えるほどのスバラシさ加減。今年皆様に訪れる数々の幸せは私から回ってきたと思ってまず間違いないでしょう。世界平和。猪突猛進。
というわけで、帰ってきました、キャンプから。全部で5日。
メルボルンから南西の方角に3時間半程ドライブしたWarrnamboolというところ。(日本語表記はウォーナブルでいいのかな)。良いとこでした、本と。
ここのキャンプサイトの一角はもうチリ人村。集まる人々ももう20年以上も毎年同じスポットにキャラバンを乗り入れる人達で、私の友人家族もその一員。皆でっかいキャラバンやらテントやらその合体ものに住んでいて2,3週間滞在しています。
キッチンやリビングやベッドルームなど完備されてる上、皆冷蔵庫やらテレビやらDVDやら食器棚やハンガーラックなどなど持ち込んでてもう立派な家です。
ビーチまでは裏庭感覚、歩いて1分です。老いも若きもわいわいと楽しい時間を共有して、ラテン音楽が常に流れ、皆それぞれビーチに行ったり、釣りに行ったり、キャラバンパークの向かいにあるきれいな公園に行ったり、昼に夜にただただあっちの家(テント)やこっちの家(キャラバン)に集まって雑談したり、夜には大きなスクリーンを持ってきて野外映画を上映する人がいればマニーという南米で売ってるピーナッツの加工品やチュロス(スパニッシュドーナッツ)を作って売る人もいて、一緒に食事に呼ばれたり、昼から夜から好きな時に好きなだけ飲んで、ほんとに村のようでいい風景でした。一緒にたむろってる皆はチリからオーストラリアへの移住時代(私の身近にいるチリ人はだいたい20~30年前に来た人達が多い)からメルボルンで一緒に育った人達で昔からの顔なじみばかりでもう一族です、血縁関係でない親族。そしてその子供達も又、いとこや兄弟のように育っています。世代を超えて皆が交流しているのがすごく素敵。ラテンDJやラッパーを普段メルボルンでやっている人たちもこの”親族”で、家族と一緒にやって来ていて今週末はステージをビーチに持ち出して、ビーチラテンパーティーが行われる模様。私は用事があって先にメルボルンに戻ってきてしまいとっても残念。
何でも一昔前はオージーもラテン系もバラバラにキャラバンパークのあちこちに配置されていたらしいのですが、夜もずっと音楽を流したり騒いだりするラテン式ホリデーと、夜は静かに寝たいオージーキャンパーの間でいざこざが絶えず、ラテン系はパークの一番奥に皆追いやられた模様。でもおかげで極楽なラテン村が毎年出来上がっています。前述のラテン系キャンパーによって毎年行われるラテンビーチパーティーには地元のオージーの若者も聞きつけてわざわざ遊びに来るらしい。
それからそれから、Warrnamboolでは鮑が取れるのです。ア・ワ・ビ!あ・わ・び!友達のお父さんもアワビ漁ライセンスを持っていて、日に5個という制限付きでちょこちょこ取ってきます。私が滞在中もすごく大きいのをたくさん取ってきて嬉しそうでした。NYE(大晦日)のご馳走はイセエビにアワビにシーフードサラダというキャンプと思えぬ超豪華食事で幸せでした。
私は頼まれてナプキンで折り紙をしてプレゼンテーションのお手伝い。
最後はメルボルンに戻る昼の電車を逃して夕方まで待つというオチ付きで終わった私の年またぎキャンプ。
本当に楽しかったです。Muchas gracias, La Moras.
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