日本を離れて11年。豪州メルボルン在住、一人旅が大好きでブラジルやキューバなどのラテン音楽にぞっこん猿の私の地球旅日記。 本家「大江戸カンガルーSAMBA CARAMBA!」から旅日記だけこちらに移転。さらに進行予定。本家ブログもどうぞよろしく。
"If your soul is no stranger to you, the whole world is your home"
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2007/12/22 ---- ブラジル・バスの旅 居眠りは計画的に
2007/10/31 ---- サンパウロの日本人街2 ブラジル移民100周年
2007/09/26 ---- サンパウロの日本人街 1
2007/09/22 ---- 黒い鶏とタツノオトシゴ Porto de Galinhas, Maracaípe
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ブラジル・リオに到着早々2日のロス。完全回復には4日程要して、やっとベッドルームから出歩けるようになりました。自分と同室以外の旅人達とも会い、ホステルのスタッフとも仲良くなって皆とあちこち行くようにもなりました。宿泊者のウチの一人、例の各国で遭遇したカーリーヘア君は家も私と同じメルボルンでした。彼は双子の友達と旅をしていました。で、私が回復して初めてホステルのバーに行った夜、この双子君達は二人で素晴らしいギターのジャムを披露していました。その時、他の子達に彼らはメルボルンのバンドで活躍してるらしいけど知ってる?と言われてバンド名を聞くと、なんと私が見たことがあるバンド!
1年ほど前に私のメルボルンでのホームとよんでも差し支えないような例の Night Cat で彼らのギグを見たことがありました。バンド名は De jah Groove (デ ジャ グルーヴ)で、レゲエでロックでヒップホップでラテンな、しいて言えばキャットエンパイア 系(詳しくは12月30日の日記で)の元気でファンキーなバンドでした。既にファンが結構いるようで盛り上がっていて、なかなかよろしいバンドだったのを覚えています。既にロンドンでも公演したことがあるらしい。その彼らは今回のブラジルの旅で現在サンパウロに帰省中の彼らのブラジルギターの師匠にも会いに行くらしい。で、その師匠というのが Doug De Vries ダグ デ ブリース 。勿論知っていますとも。彼はメルボルンで、というかおそらくオーストラリアでのブラジル音楽の第一人者で実は私がメルサンバのバテリアでサンバを演奏している頃私達のスペシャルギグにゲストミュージシャンとして来てくれて競演したこともあるのです。まあ、競演というと聞こえが華々しいけど、片や名のあるミュージシャン、片やエスコラ(サンバスクール)のバテリアの一メンバー。仮面ライダーで例えるならば、その日の花形メイン敵役とヒョイーッと叫ぶ一戦闘員のような格の違いで、競演などと呼ぶのはおこがましいにも程があるのですが、まあここは気を大きく。一戦闘員にも五分の魂。そんなこんなで彼らとは地元メルボルンの他のバンドや音楽話で盛り上がりました。
リオでのホステル仲間ー旅人やスタッフと。
さてそんな仲間やホステルのスタッフと色々出かける日々が続き、その中でも一番最高だったバンドがこれ、Afro reggae というバンドです。私が今回のブラジルの旅の全てを総合してもこのバンドが色んな意味で一番印象深かった。
このバンドはブラジルの貧民街であるファベラのプロジェクトから生まれたバンドです。連れて行ってくれたホステルのスタッフに聞いたところによると、十数年前、リオのファベラで悲劇的な事件があったらしい。その頃ファヴェラのギャング達と警察による激しい麻薬抗争があり、ある時警官が数名銃殺されると、その翌日武装警官が復讐のため大勢でそのファベラに押し寄せ激しい銃撃戦が起こり、結果多くの死者、それも麻薬とは何の関係もない武装もしていないたくさんの人々の犠牲者が出た。この事件がファベラコミュニティーのみならず、ブラジル全土(リオ全土だったかな)に与えた衝撃は大きく、市民は憤慨した。
そんな中で、ある若者たちがやはりこの事件に憤慨し、このファベラにやってきた。彼らはAfro reggeaというアフロブラジル音楽や黒人問題を取り上げたフリーペーパーを作っていた人達で、この武力抗争に対抗して彼らがやったことは、ファベラの若者達の負のイメージをプラスのエネルギーに変えて、ファベラの明るい将来を導くための健全なるプロジェクトを開くことだった。リサイクルやパーカッションやダンスなどのワークショップ(講習会)を開き、そのワークショップの中から最初に生まれたのがこの Afro Reggae バンド。他にも色々なバンドが出てきているらしいけれど、コレが最初で今でも一番メインのバンドらしい。既に海外公演も何度かしているようでした。で、このバンドは週末にはファベラの子供達を集めてコミュニティーセンターのようなところでフリーのライブを行います。それはファベラの子供達に若者達のこうしたプラスのイメージを見てもらい、彼らにその後を辿っていってファベラの明るい将来につなげて欲しいという願いから行っているようです。本当に素晴らしい。
私たちはその週末のコミュニティーセンターにお邪魔しました。そのバンドのコンセプトのみならず、その演奏やパフォーマンスがまたすごく良かった。一緒に行ったオージーの人が撮った映像を私が後で見られるように You tube に載せたので是非見てみて下さい。こちら→ .
すごく短いこちらの映像も合わせてご覧下さい。
見てみたら他にもこのバンドの演奏の映像をアップしている人達がいたので、それも一つリンクしておきます。ここではオープニングのパーカッションのハイライト的なところが見られていい感じです。他にも幾つかあったので、興味のある方はまた見てみると面白いと思います。こちらから→
バンドの演奏は最高で、私は観客席の後ろの方でずっと踊っていたのですが、後でホステルのスタッフの子達に、ファベラの子供が一時皆私が踊ってるのを見ていたのに気がついた?ときかれました。そしてその後帰りのタクシーを待っている時、子供達が私の周りにやってきて何やらニヤニヤしながら踊っています。からかわれてるのかなと言ったら、「さっきこうやって踊ってたよね。」って言ってるんだと言われたので、一緒に仲良く踊りました。
今回ファベラに行って気がついたことは、確かに貧民街だけれど、ファベラにはリオを一望できる素敵な景色があります。リオのファベラは普通丘の山腹の高台に這うようにして並んだ建物からなっています。このコミュニティーセンターは特にその一番上の方に位置していてここから見える眺めは本当に最高。
帰りは人が多すぎてタクシーヴァンに乗りきれず、私とホステルのスタッフの一人が残って次のタクシーを待ちました。なかなか来なかったけれど、彼女が歩いて降りるのがどれだけ安全か分からないというので、さらにしばらく待ちました。すると先ほどのバンドメンバーとこのプロジェクトをオーガナイズしている人が帰り支度をしてやってきたので、彼らと一緒に歩いて降りることにしました。ファベラの坂は本当にはんぱなく急でしたが、このファベラの風景を歩きながら見ることができて良かったです。ファベラ内の美容院とか、夕方でしたが皆とにかく家の外にワケもなくたむろっていて、同じく近所で外に出てきて座り込んでる人たちなどとそれぞれに話し込んだりしている。どこもかしこも社交場です。ファベラは今だって安全な場所とは言えません。日常的に銃声が聞こえたりするし、ギャングや麻薬問題もずっとそのままです。このファベラの人々や子供達にAfro Reggaeのバンドのように力強く明るい将来を願って止みません。
ファベラから見下ろすリオ
1年ほど前に私のメルボルンでのホームとよんでも差し支えないような例の Night Cat で彼らのギグを見たことがありました。バンド名は De jah Groove (デ ジャ グルーヴ)で、レゲエでロックでヒップホップでラテンな、しいて言えばキャットエンパイア 系(詳しくは12月30日の日記で)の元気でファンキーなバンドでした。既にファンが結構いるようで盛り上がっていて、なかなかよろしいバンドだったのを覚えています。既にロンドンでも公演したことがあるらしい。その彼らは今回のブラジルの旅で現在サンパウロに帰省中の彼らのブラジルギターの師匠にも会いに行くらしい。で、その師匠というのが Doug De Vries ダグ デ ブリース 。勿論知っていますとも。彼はメルボルンで、というかおそらくオーストラリアでのブラジル音楽の第一人者で実は私がメルサンバのバテリアでサンバを演奏している頃私達のスペシャルギグにゲストミュージシャンとして来てくれて競演したこともあるのです。まあ、競演というと聞こえが華々しいけど、片や名のあるミュージシャン、片やエスコラ(サンバスクール)のバテリアの一メンバー。仮面ライダーで例えるならば、その日の花形メイン敵役とヒョイーッと叫ぶ一戦闘員のような格の違いで、競演などと呼ぶのはおこがましいにも程があるのですが、まあここは気を大きく。一戦闘員にも五分の魂。そんなこんなで彼らとは地元メルボルンの他のバンドや音楽話で盛り上がりました。
リオでのホステル仲間ー旅人やスタッフと。
さてそんな仲間やホステルのスタッフと色々出かける日々が続き、その中でも一番最高だったバンドがこれ、Afro reggae というバンドです。私が今回のブラジルの旅の全てを総合してもこのバンドが色んな意味で一番印象深かった。
このバンドはブラジルの貧民街であるファベラのプロジェクトから生まれたバンドです。連れて行ってくれたホステルのスタッフに聞いたところによると、十数年前、リオのファベラで悲劇的な事件があったらしい。その頃ファヴェラのギャング達と警察による激しい麻薬抗争があり、ある時警官が数名銃殺されると、その翌日武装警官が復讐のため大勢でそのファベラに押し寄せ激しい銃撃戦が起こり、結果多くの死者、それも麻薬とは何の関係もない武装もしていないたくさんの人々の犠牲者が出た。この事件がファベラコミュニティーのみならず、ブラジル全土(リオ全土だったかな)に与えた衝撃は大きく、市民は憤慨した。
そんな中で、ある若者たちがやはりこの事件に憤慨し、このファベラにやってきた。彼らはAfro reggeaというアフロブラジル音楽や黒人問題を取り上げたフリーペーパーを作っていた人達で、この武力抗争に対抗して彼らがやったことは、ファベラの若者達の負のイメージをプラスのエネルギーに変えて、ファベラの明るい将来を導くための健全なるプロジェクトを開くことだった。リサイクルやパーカッションやダンスなどのワークショップ(講習会)を開き、そのワークショップの中から最初に生まれたのがこの Afro Reggae バンド。他にも色々なバンドが出てきているらしいけれど、コレが最初で今でも一番メインのバンドらしい。既に海外公演も何度かしているようでした。で、このバンドは週末にはファベラの子供達を集めてコミュニティーセンターのようなところでフリーのライブを行います。それはファベラの子供達に若者達のこうしたプラスのイメージを見てもらい、彼らにその後を辿っていってファベラの明るい将来につなげて欲しいという願いから行っているようです。本当に素晴らしい。
私たちはその週末のコミュニティーセンターにお邪魔しました。そのバンドのコンセプトのみならず、その演奏やパフォーマンスがまたすごく良かった。一緒に行ったオージーの人が撮った映像を私が後で見られるように You tube に載せたので是非見てみて下さい。こちら→ .
すごく短いこちらの映像も合わせてご覧下さい。
見てみたら他にもこのバンドの演奏の映像をアップしている人達がいたので、それも一つリンクしておきます。ここではオープニングのパーカッションのハイライト的なところが見られていい感じです。他にも幾つかあったので、興味のある方はまた見てみると面白いと思います。こちらから→
バンドの演奏は最高で、私は観客席の後ろの方でずっと踊っていたのですが、後でホステルのスタッフの子達に、ファベラの子供が一時皆私が踊ってるのを見ていたのに気がついた?ときかれました。そしてその後帰りのタクシーを待っている時、子供達が私の周りにやってきて何やらニヤニヤしながら踊っています。からかわれてるのかなと言ったら、「さっきこうやって踊ってたよね。」って言ってるんだと言われたので、一緒に仲良く踊りました。
今回ファベラに行って気がついたことは、確かに貧民街だけれど、ファベラにはリオを一望できる素敵な景色があります。リオのファベラは普通丘の山腹の高台に這うようにして並んだ建物からなっています。このコミュニティーセンターは特にその一番上の方に位置していてここから見える眺めは本当に最高。
帰りは人が多すぎてタクシーヴァンに乗りきれず、私とホステルのスタッフの一人が残って次のタクシーを待ちました。なかなか来なかったけれど、彼女が歩いて降りるのがどれだけ安全か分からないというので、さらにしばらく待ちました。すると先ほどのバンドメンバーとこのプロジェクトをオーガナイズしている人が帰り支度をしてやってきたので、彼らと一緒に歩いて降りることにしました。ファベラの坂は本当にはんぱなく急でしたが、このファベラの風景を歩きながら見ることができて良かったです。ファベラ内の美容院とか、夕方でしたが皆とにかく家の外にワケもなくたむろっていて、同じく近所で外に出てきて座り込んでる人たちなどとそれぞれに話し込んだりしている。どこもかしこも社交場です。ファベラは今だって安全な場所とは言えません。日常的に銃声が聞こえたりするし、ギャングや麻薬問題もずっとそのままです。このファベラの人々や子供達にAfro Reggaeのバンドのように力強く明るい将来を願って止みません。
ファベラから見下ろすリオ
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