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日本を離れて11年。豪州メルボルン在住、一人旅が大好きでブラジルやキューバなどのラテン音楽にぞっこん猿の私の地球旅日記。 本家「大江戸カンガルーSAMBA CARAMBA!」から旅日記だけこちらに移転。さらに進行予定。本家ブログもどうぞよろしく。 "If your soul is no stranger to you, the whole world is your home"
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サルバドールに来て日本語の打てるネットカフェ発見。(*注 この記事はブラジルに入ってから書かれたものです。)


過去に遡って順に記事をあげていきます。チリには4日ほどのはずがフライトを変更して結局1週間。前回の旅では前にも書いたように友達宅にステイしていたので、今回はチリで初めてのバックパッカーズ。今回私が泊まったのは、ネットで選んだChillihostel という名のバックパッカーズ。結論から言うと最高に気に入りました。

すごくアットホームでスタッフも旅人もいい感じにで馴染んでて、NZやOZのBPと違ってスタッフのみならず旅人同士の会話もスペイン語がメインだったけど、相手が英語ができない分、逆に自分のスペイン語を練習するいい機会になりました。英語と違うところは、皆我慢強くいやな顔ひとつ見せず私のつたない話につきあってくれます。何とかコミュニケートできているのが不思議なくらいの私の片言なスペイン語なのに、色んな人とたくさん話してたくさん笑って本当に楽しかった。3日程滞在したらもう皆スタッフも旅行者も家族のようにさえ思えてきました。

私や他の人に何か問題があると周りの皆が色々進んで助けてくれるし、朝食付きなのですがNZやOZのBPと違ってキッチンに降りてきた人の顔を見てからちゃんとオレンジを切るところから始めて一人一人に毎朝オレンジジュースを作ってくれてトーストを焼いてくれて。カップやお皿もかわいいのです。単なる宿泊所としてのBPではなくちゃんと友達家族におもてなししてもらっている感じ。

ベッドも私の部屋は7人部屋だったけどちゃんとしたベッド。ずっとBPを回ってるとこんな普通のベッドがとっても嬉しいです。ベットカバーもオレンジや黄色、黄緑などを基調にしてすごくかわいい。同部屋で仲良くなったルックスも性格もとても美しいアルゼンチン人のマリアは、始めは他に行ったら汚いし、殺風景だしですぐにここに移ってきてハッピーだったといっていたので、チリの全てがここのようではないようです。


NZで母を訪ねて三千里とか言ってた私ですが、チリでもまたまた人探し。ここでは前回の旅で会ったメルボルンの友達の友達であるダニエラを探してみました。出発前にメルボルンの友達から電話番号をもらっていたのですがすっかり家に置いてきた私。知っている情報と言えばセントロという駅のそばの移動図書館で働いているという情報のみ。


でも聞いてみるとセントロというのは街の中心部全体をいうのであって駅の名前ではないと言われちょっと愕然。先は長い。とりあえず町の中心部あたりに行ってみる。通りで警察をみつけるもやはり英語は分からず、片言のスペイン語と電子辞書で引いた移動図書館の単語を使って、人を探していることを伝えるも、移動図書館にあたるスペイン語に馴染みがなかったようで、それが何だか分からない様子。たくさん本のあるバスだよと言ったらもっと混乱していた。とにかく長いやり取りの後、主旨はわかってもらえたけど、それがどこだかは見当も付かない様子。今考えてみれば移動図書館なんだからどこにあるか分からないのあたり前だよね。結局近くの本屋を教えてくれてそこできいてみろとのこと。本屋でも同じやりとりを繰り返し、いい人たちで色々考えてくれて移動図書館のありそうな場所を地図にマークしてくれたんだけど、それぞれが互いに遠くて全部めぐるのは気が遠くなりそう。そこで、移動図書館はきっと普通の図書館に属しているに違いないと思い近くの大きな図書館を聴いてみる。ラッキーなことに割と近くで歩いて行った。そして到着、サンティアゴで一番大きな国立図書館。じゃじゃーん。到着して気が付いたのです。そこは3年前のダニエラの職場。3年前に会ったとき案内してくれたので覚えてました。あの時はただ後をついて行ったので、地理関係は全く覚えていませんでした。あの頃彼女は学生見習いとしてここで働いていました。もしかしたら、現在の移送図書館というのもここに属しているのかも!密かな期待を抱いて受付を探す。インフォセンターらしきものを見つけるも人は無し、しばらく待った後近くにいた警備員に声をかけ、また同じ会話の繰り返し。警備員は私の片言のスペイン語をかなり辛抱強く聞いてくれて、別の長年勤めている警備員の人に連絡をとってくれました。

その警備員さんとダニエラの特徴について話しているうちに彼女の写真をまだ持っている事に気づき、デジカメの写真をみせると覚えているとのこと。移動図書館はその図書館付属ではなかったけれど、彼女の連絡先がわかるかもとのこと。でも別の部屋に行ったとき、彼女の連絡先を教えてはもらえなかったようでした。そこで、そこに勤務する彼女をよく知っている人の部署に連れていってくれました。その人本人は知りませんでしたが、同じ部署で働く別の人が、現在の彼女の勤務先をしっていて、そこの図書館の番号と駅名を調べてくれました。本当皆いい人です。駅の名前はなんとエスタシオン セントラル。 セントロとは英語でいうセンターで似た名前のセントラルとのちょっとした思い違いをしていたためにこんな大げさな捜索旅となりました。でも私は移動図書館自体が駅近くにあると思っていたし、図書館もちょっと駅から離れていてそのまま駅に行ってもみつかったかどうかわからないので、逆に良かったかも。


駅について人に聞きながら図書館に向かう。到着すると、彼女は移動図書館勤務なので、今はそこにはいなくて今日は戻って来ないとのこと。彼女の番号をもらうも、そこには電話がなくて、駅までもどる。そこから電話すると、何と私と5分のすれ違いで今は図書館にいると。慌てて戻って、ヒャッホー!!遂に再会できました。長い一日だったけど、ハッピーエンドならば、こんな捜索旅も悪くないです。


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やっと、みつけました。日本語の打てるネットカフェinサンティアゴ。探してる時間も今まであんまりなかったけど。


オークランドで過ごしたのは全部で24時間ありません。空港や移動の時間を差し引き、Cityでの時間のみを考えれば20時間にも満たなかったでしょう。


着いた晩は前回も書いたようにぶらぶら散策して、記憶を頼りにCityの上方にあった友達の家族が経営していた韓国レストランの方角にいくと、立派なコリアン通りになってました。前も多かったと思うけど、絶対増えてる。どこも結構はやってて、私も入ったけど、やすい上すごくおいしかった。あのただで付いてきてお代わりもできるナムルの各皿の出来が最高。その後昔通っていた英語学校に夜の散策。忘れていた色々なことが驚くほどに蘇ってきてびっくり。


翌日は起きるなり、バスが集まるメインのバス停に行き、昔働いていたカフェへ。昔の家に行こうと思ったんだけど、どのバスか思い出せず、とりあえずカフェが観光地である海沿いの水族館Kelly tarlton's に付属していたので見つけるのが楽なため、先に。9時半くらいに到着したらまだ店は開いていず、写真だけ。そのまま海沿いの道を行くと海沿いのかわいい町Mission Bayが近かった気がしてウォーキング中のおばあさんに確認すると、その後引き返して一緒にお供してくれました。カナダ人でNZは1年ちょっと、その前はトリニダード・トバゴはじめカリビアンの国の数々やマレーシア、ヨーロッパなど各地での暮らしを経て現在に。面白い人で旅と人生について楽しく会話して、最後は「私もラテンの国の音楽は好きよ、金を使って感じる幸せでない、音楽とダンスさえあればそれでハッピーというのがいいわ」という彼女のコメントに至極共感。


Mission Bayからは勘を頼りに、バスを乗り継ぎ、昔の家へ。最後にバスを降りるところが定かでなく、行き過ぎてから引き返しながらあっちへこっちへ探し、「この道覚えてる」ほど定かでない、この道に何かを感じるという小道を見つけてそこを行くと何とか到着!今もあの時の家族が住んでいる保証はないと思ったけれど、敷地に入ってすぐに子どもの遊び部屋として当時のホストファーザーが建てた小屋を発見、窓から覗くと当時長男がその壁に書いた子供達の名前と私の名前がまだあってとりあえず今も同じ家族が住んでいそう。ドアをノックするとしばらくして十代の女の子が。「あなたメリッサ?」唐突の質問にちょっとびっくりしている彼女。無理もない、12年前はまだ3歳。覚えてはないでしょう。私も面影とか全然分からなかった。でもティーンエイジャーになった彼女を見られてちょっと感動。お母さんは?と続けて尋ねると、またちょっとびっくりしてお父さんなら仕事に行っていると。その返答に何かを感じて、自分の自己紹介をすると、名前は何となく覚えているけどとのこと、でもそこからオープンに家族のことを色々話してくれました。両親は6年前に離婚して私のホストマザーである彼女の母親は再婚して近くに住んでいるから電話してくれるとのこと。そしてCityで仕事中であることがわかり、私の宿のごく近くにある彼女の仕事場であるカジノに直行。


ホストマザーとは言っても私と大して年齢はかわらず、私より5つくらい上だった気がするのですが、とにかく12年前と全く変わっていませんでした。やせた分逆に美しくなったかな。ラッキーなことにその2日前までフィリピンに3週間程里帰りしていたとのこと。旅中の私はいつも驚くほどに強運。今回もそれを確信。久しぶりの再会に積もる話をランチをおごってもらいながらたくさん話す。訪ねて本当に良かった。楽しかったです。私が去ってからもう一人子供が出来、其の後離婚して再婚した模様。ホストファーザーの人柄に私は当時あまり好感をもっていなかったので、逆にこうなっていて良かったです。今はとてもハッピーだと言っていました。人生は一度きり、毎日を楽しまなきゃと。やけに人生について語る日。


その後、今回のNZ滞在目的のもう一つ、この12、3年つけ続けていたマオリアートのペンダントかいいかげんに古くなってきたのでその新調です。一つに絞れず、結局2個買いました。私の新たな人生の新守護符です。アワビの貝殻のと牛の骨の。アワビと牛に守られて楽しく生きていきますよ。


すごーく長くなったけど、これらの出来事と一泊の睡眠あわせて20時間足らず。ほんとぎっしり詰まった20時間でした。




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ついに旅猿、旅立ちましたよ。

準備できてなくててんやわんやで。やり残したこと全部ハウスメートや友達に押し付けながら、、。

そして今ここNZはオークランド。13年ぶりです。来てみたらわかると思っていたらあまり覚えていません。

13年前の数ヶ月の暮らしなんてそんなものでしょうか。

でもこっちの方に行ったら何かがあったという漠然とした勘は今のところあたっていて、記憶喪失者がだんだん記憶を取り戻す感じで面白いです、もしくは自分の夢の中だけに出てくる場所にまたやってきてあれこれ確認してる感じ。でもやたらシドニーの記憶とだぶって、こっちに行ったらこんな店が、、と思って行く内に、あれはシドニーだったと思ったり。そんなところも夢の中のはちゃめちゃに繋がる地理具合によく似ています。


おそらく、オークランドでもシドニーでも学生だったのとその時期がが1年しかあいていないせいで記憶が似ていると思われます。町並みや店も似たようなものだし。シティはどこに行っても代わり映えしないものです。でもやっぱりあちこちにあるNZの緑は濃くて美しい。黄色の国メルボルンからくると、余計に緑が目にしみます。美しい。



ネットカフェは30分 NZ$1です。安。

旅の思い出ダイジェスト企画 第4弾はブラジル。前回のブラジルへの旅はリオデジャネイロのみで新年をはさんだ10日程の短い滞在。今回、100%自分の趣味に徹したかなりピンポイントな思い出になるため、旅行記・旅情報として一般の旅行者への参考には全くならないでしょう。

リオは素敵なところです。観光シンボルで有名なクリストの像の丘から見える景色は本当に絶景で夕焼け時にはその表情が1分毎に変わっていき、バックパッカーズで出会ったカナダ人の女の子と2人でかなり長い間最終ロープウェーまでゆっくり見てました。が一般観光情報はここまで。ここからはサンバ好きによる自己満サンバ専門メモリー。



私のリオでの思い出といえば、まずMangueiraマンゲイラです。これはリオに幾つか存在するサンバスクール(サンバチーム)の一つで、カリオカ(リオっ子)スーパーパーカッショニストのカルロス率いるメルボルンサンバスクールで私がサンバを演奏していた時、カルロスがマンゲイラのファンだったので、マンゲイラの曲をたくさんやりました。メルサンバのドラムの装飾やHPのテーマカラーにはマンゲイラのチームカラーの緑・ピンクを使っているほど。(この色の組み合わせ、個人的にはいかがなものかと常々思っているのですが)。前述のできたてカナダ人友人を引き連れて、そのマンゲイラ メンバーの小ライブに行き、シンガーの人に翌日大きなウィークリー公演があることを確認とり、当日本陣に突入しました。

当日、タクシーで行ったのですが、マンゲイラはファベラ(リオのスラム街)にあるため、近づくに連れ同行した彼女はとても心配してタクシーの運転手にここは安全かと何度も繰り返し聞いていました。ちなみにこのファベラでの生活を舞台にしたCity of God というブラジル映画があるのですが、娯楽としてはその同じ制作チームが作った"City of men(Cidade dos Homens)"というドラマシリーズがとってもお勧めです。映画の方はかなりヘビーですが、このドラマシリーズの方は2人の10代の男の子のファベラでの生活に焦点を当てたもので、ヘビーな環境にありながらたくましく生きる彼らとその10代少年達特有の虚勢癖やお間抜けさがドラマをすごく明るくコミカルに仕上げています。昨年豪州では海外番組放送局SBSで放映していました。日本ではCity of God TVドラマシリーズというタイトルでDVDが出ているみたいなので、よければレンタルででも見てみて下さい。とってもお勧めです。
CITY OF GOD~THE TV SERIES~/ダーラン・カンナー

だいぶ話がそれてしまいましたが、そうです、マンゲイラ!! タクシーが到着するとそこにそびえ立つ大きな建物はなんと全身ピンクと緑!マンゲイラは好きですが、前述のようにやはりこの色の組み合わせに関する不信感だけはどうにもぬぐえません。それでもマンゲイラ、とにかく中に入ります。中はもうすっごい人。その週がその年最後の週だったこともあり人もいつにも増して入っていた模様。




始めは小さなグループがフロアでパゴージュなど演奏していてそれに合わせて人々が踊っていました。そして現るマンゲイラのメインバテリア。彼らはフロアでなくフロアから見上げる形の光り輝くステージ上で演奏。それを見上げながら歓喜に踊る聴衆を感じて、これはさながらサンバのメッカだと思った記憶があります。私はだいぶ前方まで侵入、そこのビラなどおいてあるテーブルでたむろっているおじいさん達と仲良くなりました。ビラの管理やらプレーヤーがしょっちゅう降りてきて話しをしていたことから、マンゲイラ関係者達と思われます。で、私がポルトガル語は全然話せないのに、曲がかかると知ってる曲はおじいさん達と一緒になって歌って踊っていたのですごくビックリしたようで、外国人観光客が自分達の歌を歌うのを本当に喜んでくれて一緒にたのしい時間を過ごしました。





その内ステージで歌っていたシンガーが私の方を指差したように思ったので、周りを確認してから自分を指差してみたらうなずいてくれました。前日にその日のライブについて確認したそのシンガーが手を振って歓迎してくれました。さらにその後ステージ上でTamborimチームをリードしていたプレーヤーがおじいさん軍団のところに降りてきて話をしていました。メルボルンでは私もTamborimをやっていたので、思い切って話しかけました。英語が話せる人で、仲良くなり、後日彼のTamborimクラスに招待してもらいました。その後の私の短いリオ滞在中一緒に遊んだりしたのですが、後で雑誌にも載ったりするような界隈ではちょっと名の知れた人だと判明。いい友達ができました。彼曰くマンゲイラでは女性はダンサーにしかなれないとのこと。他のサンバスクールはこの限りではないらしいのですが、マンゲイラルールでは女の人は演奏できないようで残念です。



踊り狂っていた私を残し、カナダ人の友達は先にタクシーで帰っていきました。私も終盤マーチ隊が建物を出て外で演奏を続け始めた朝の5時過ぎ、先ほどのTamborimプレーヤーがとめてくれたタクシーで帰りました。帰宅中タクシーの運転手と話はサンバ談義に。彼もサンバを演奏するとのこと、サンバ好きの私のためにラジオでサンバレゲエをやってる局に合わせてくれました。私はかばんにあったミニシェイカーを取り出してそれに合わせてふり始めると、俺にも一個くれというので一つを渡しました。すぐに運転手はラジオから流れるサンバレゲエに合わせて片手でガンザをふりつつ、片手で運転し、私も一緒に演奏し、朝の6時にタクシーの中でサンバパーティーができる所だよ、リオは、スバラシ!と感激しながら帰宅。カナダ人の旅友達も楽しんでくれたようで翌日感謝されました。良かった良かった。

まだまだいっぱいエピソードがあるのですが、長くなりすぎたのとそろそろ真剣に明日からの旅の荷造りに向き合った方がよさそうなので、リオリポートはこれにて終了。最新版リポートは現地到着後またすぐお届けできると思います。

追記;ちなみにマンゲイラ のHPの色とメルボルンサンバスクール のHPの色、興味ある方はクリックして比べてみて下さい。


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あさってからついに旅に出ます。友達に薦められこのBlogを始めたのも、もともと旅中の私の生存確認用でもあります。
全部で3ヶ月、経路はNZ1泊経由でチリに数日、それから今回の旅のメインのブラジルでカーニバルと共に2ヶ月で、その後はスペイン、ポルトガル、モロッコを数日から1週間くらいずつ周り、香港経由で日本に3月の終わりか4月の頭に上陸して花見を1週間ほどしてから帰る予定。

今回はそんな私の旅を可能にしたオーストラリアの休暇制度の話。
こちらでは日本のような給与のボーナス制度がありません。今回私がとったのはロングサービスリーブ(LSL)といって長年勤めた人がもらえる長期有給休暇。10年勤めて12週(3ヶ月)もらえます。最近制度が変わって、10年勤めなくても7年後からその年数にあわせた休暇がもらえることになりました。私はQLDで働いていたのと合わせて9年働いたことになるので、11週もらえます。もらえる給料を半額にして倍の期間休みをとることも可能なようです。ホリデーとして使わずその12週分の給料をボーナスとしてもらえるというのも最近ききました。15年勤務後にはさらにまた何週かLSLがもらえるようです。

私の仕事は現地の小学校での日本語教師。日本のALTとかとは違って、専科の正規の職員で、国籍もないのにいわゆる公務員になれる自由なオーストラリアが好きです。他の職業はおそらく仕事を変えると10年のカウントを一からやり直しなのですが、教員は教育省雇用扱いなので、学校が変わっても大丈夫。ただ、各州色々制度も違うので、QLD州で働いていた経歴も含めてくれるとは'思いませんでした。今回の嬉しい発見です。私立校の場合はよくわかりません。

今回は5週半の夏休みと繋げて1学期丸々このLSLを取ったので、その後の学期末休みの

2週間と合わせて全部で4ヶ月の大型ホリデーとなりました。1年の3分の1を働かずにして給料を頂く計算です。(他の学期末休みや週末をあわせたらもっとですね)。こんなオーストラリアが好きです。
日本だと仮に有給休暇の制度があったとしても、仕事が忙しかったり、他の人に与える影響など周りのことを考えてなかなか長期で取りにくいケースが多いようですが、ここではボスを含め皆自分も行きたいので、他の人の時も気持ちよく容認です。自分に厳しい=人にも厳しい。人に寛容=自分にも寛容。ですね。全てがこの図式ではないと思いますが。どこの国でも関係なくちらほらある「!?」なケースが「人に厳しい+自分に寛容」ですね。

ゆうべはSpotでたくさんの仲間にお別れをしました。だんだん、そろそろだなという気になってきました。相変わらず準備は何もしていないけど。とりあえず、かばん(バックパック)はおととい買いました。
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