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日本を離れて11年。豪州メルボルン在住、一人旅が大好きでブラジルやキューバなどのラテン音楽にぞっこん猿の私の地球旅日記。 本家「大江戸カンガルーSAMBA CARAMBA!」から旅日記だけこちらに移転。さらに進行予定。本家ブログもどうぞよろしく。 "If your soul is no stranger to you, the whole world is your home"
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昨日の記事からちょっと登場していたチリ。私がメルボルンで一番交流のあるラテンコミュニティがこのチリ人達。
前回は5日ほどの滞在で、しかもクリスマスをはさんでサンティアゴの友達家族の所に泊まっていたので、殆どチリの様子をリポートすることはできません。家庭のパーティーはたくさん参加して、とても家庭内的海外旅行でした。

ところで昨日そのお世話になったご家族と再会!お父さん、お母さんはお変わりなく、子供だった甥っ子達2名はとても成長してかっこいいティーンエイジャーになっておられました。この正月から友達を訪ねてメルボルンにやってきていたので早速会いにいったのです。私は丁度今からまたチリに行くところ、すれ違いになるところでした。会えてよかった。で、カメラを持っていたにも関わらず写真とるの忘れてしまった!

ここで突然手土産ワンポイント講座; 前回ペルーからチリに行ったのですが、空港の免税で友人家族に手土産にペルーのピスコという酒を買って行きました。ところが後にチリのパーティーで友達になった女の子にチリとペルーは昔からお互いにピスコは自分達の国のものだといって言い争っていたというような’ことを聞き、そんなチリにペルーのピスコを土産に買って来てしまった自分の失敗に気づきました。しかも免税で買ったそのピスコは結構したのに、チリの普通のスーパーで安いピスコをたくさん見かけましたとさ。

ちなみにこのピスコで作るピスコサワー好きです。でも一番気に入ったお酒はMelon con vino(ワイン入りメロン)。メロンの上部をカットして種をかき出し、中に白ワインと砂糖を入れてまぜ、冷蔵庫で冷やしておきます。これをパーティーで皆で回しのみ。途中でワインを注ぎ足したり、メロンの果肉もとってもいい塩梅で、それを削って一緒に飲んだり。今でも思い出すと顔がにやけるおいしさです。 ちなみに terremoto (地震)と言う名のカクテルがあったのですが、酒に弱い私はこれで完全KOされてしまい、友達たちに大迷惑をかけながらなんとか帰宅しました。

もう一つ、チリの思い出といえば、サンティアゴからバスで1,2時間のバルパライソというところに一泊しに行った時です。この時人生で初めて鳥の糞をモロに頭からかぶるという漫画のような貴重な体験をしました。生暖かい上、結構大量に浴びて、ふき取りきれずにホテルに直行でした。
次の貴重体験目標は「バナナの皮で滑って転ぶ」です。



3年前の友達家族、クリスマスに大集合。チリにて。


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昨日書きながら色々と細かいことも思い出してきました。今日はそのエクストラ。食事中の方は後で見てください。

ペルーやチリではトイレで時々張り紙を見ます。
「排泄物以外は流さないで下さい。」

当たり前のようですが、これ、とっても文面通りに受けとらなくてはいけないのです。
揚げ足取りな人が、じゃあ、紙も流しちゃだめなんだな。という反応が実は大正解。排水管が小さいようで、紙を流すとすぐ詰まってしまうのです。
で、使用済みの紙はどうするのかといえば、便器のとなりに設置してあるゴミ箱に捨てるのです。これが私には結構苦痛でした。公共の場ならまだしも、チリでは友人の家族宅に泊まっていたのでそこの家族にも紙が見えるかと思うと。

クスコからマチュピチュに行く電車の中ではうっかり忘れて流してしまい(無意識についやってしまうものです)、その後しばらくしてから、客車にトイレの異臭が、、、。電車の中は観光客ばかりなので、今から思えば私だけではなかったと思うのですが、その時はやばい、私が詰まらせちゃったとマチュピチュに着くまで気が気じゃありませんでした。そんな感じでが多いところではやはり詰まったトイレを時々みかけます。この状況に加えて水洗の水の流れがわるい所もあって、それでも切羽詰ってる人達はしなきゃならないわけで、詰まったトイレににさらにたまっていくとんでもない状況。キャー。ブラジルで普通に流せるトイレのバックパッカーズに着いてホッとしたのを覚えています。

おぞましい思い出はそのくらいにして、クスコの町の中心にあるPlaza de Armasという広場には物売りの子供がたくさん来ています。英語を話す人は多くないペルーですが、ここの子供達はよく英語を話します。商魂たくましくポストカードを売り歩いていた子は「今月これを払わないと、家の電気とめられちゃうんだ。」と電気代の請求書を一緒に持ち歩いていて見せてきました。日本語で写真とりませんか?と話しかけてくる子供達もいて、生きていく力を見ました。
さて、前述のポストカードの男の子ですがカードホルダーにポケモンのシールが貼ってあってびっくり。オーストラリアの子供達の間でも流行っていましたが、まさかインカの都、クスコで遭遇するとは。その後チリに行ったとき、友達の甥っ子達が見ていたテレビはキン肉マン!!筋骨マン イワオ とか懐かしすぎ。 その他色んな日本アニメをやってたんだけどどれをやってたかもう忘れちゃっいました。筋骨マンのインパクトに他の記憶は吹っ飛びました。あ、ちなみにチリでのどらえもんの名前はGato Cozmico(宇宙猫)。クリスマスに友達の弟にGato Cozmico人形をプレゼントしてもらいました。日本アニメの生きていく力を見ました。

ちなみにポケモンが流行ったので、そのあともっと古いアニメドラゴンボールや、やや新しめの遊戯王をTVで放映してやはり子供達の間で人気になったオーストラリアですが、フランスではもう10年以上も前からちゃんと(って言っていいのか?)やっていたみたいです。10年以上も前にワーホリでNZにいた頃英語学校で仲良くなったタヒチ(フランス語圏)の子が「日本のアニメ知ってるよ。ドラゴンボールとか。やじろべえ知ってる?」とかあまりに通すぎるキャラクターの選択に友達と大笑いしたのを覚えています。
日本で教員をやっている友達が以前父兄に面接で「ポケモンのキャラクターの名前はあんなに覚えられるのにどうして勉強はねえ。」と相談されたと言っていましたが、豪州で大流行した8年ほど前に私も全く同じ質問をオーストラリア人の父兄から面接でされました。日本のアニメもそれにまつわる問題もとってもワールドワイドなようです。

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放浪出発記念 ラテン旅の思い出ダイジェスト第2弾はペルーです。

私が初めて憧れのラテンアメリカに行った時、ロンドンからマドリード経由でやって来たリマが私の南米旅行入り口でした。
ペルーでは全部で1週間弱の短期滞在だったので時間がなく、リマとクスコ、そしてクスコからマチュピチュにしか行きませんでした。
クスコは標高がすごく高いところで、できれば電車など地上移動で行くのがお勧め。私は時間がなかったのとワールド周遊チケットがあったので飛行機でいきましたが、急激に標高の高い所に移動したので、クスコでの最初の数日は頭痛などの高山病症状に悩まされました。ホテルの一つ上の階に階段で上るだけでゼーゼー言ってしまいます。クスコでは皆コカの葉を高山病予防や緩和のためにガムのように噛みます。Mate de Cocaというコカの葉でいれたお茶も飲みます。軽く高山病だったのと味が結構好きでたくさん飲んでました。コカ茶ジャンキーです。そういえばリマで Mate de Cocaのティーバッグを自分用お土産に買ったのですが、メルボルンに帰ってからは全然飲みませんでした。抹茶入り緑茶に玄米茶にジャスミンティー、おいしいわあ。

クスコは素敵な所でした。確かガイドの人が言ってましたが、インカの遺跡の中でマチュピチュが有名なのは当時の遺跡のままの現存率が一番高いからでインカ帝国の都はこのクスコであったようです。都の呼び名に相応しい、山の中に突如出現する幻想的な街でした。近くの村のマーケットにある民芸品(布やら陶器やらアクセサリーなど)の数々も魅力的で機会があるならば本とまた行きたいです。
そしてまた確かガイドの人が言ってましたが、魅惑の街、クスコの建物の殆どが土台部分だけインカの流れを引いていて、殆どの建物の部分はスペインが攻めてきたときに破壊され、今の80%の建物の部分はスペイン建築の影響であるらしい。スペイン、今回の旅行で行くので楽しみです。あれがまだそのまま残っているならばとてもかわいい家並みでした。


クスコの町 スペイン風    と   建物の土台部分インカ風


土台部分のインカ建築物も素晴らしい。マチュピチュやオリャンタンボなどのインカ遺跡でも見たのですが、インカに限らず、古代文明の人々はホント偉大だなあといつも感心させられます。皆頭がいいし腕がいい。大型機械なしで、複雑に繋がりあうパズルのように石を削ったり、運んだり設置したり。現代は文明が発達したというけれど、個人の力で言えば、私は全く古代人には敵わない。今の私にはその石を削る機械を作る能力もなければ、仮に機械があったとしても石をあんなパーフェクトな形に削れない自信が100%あります。石に限らず、私の皆無に等しい数学、天文学、測量などの能力の何をとっても古代人には敵わないでしょう。Viva 古代人!万歳三唱!「尊敬する人は古代文明人です。」

パーフェクトにはめ込まれた石垣    クスコや周辺の観光地で見かける少年少女。撮影されてお金を稼ぐためにこのような格好をしています。


ペルーは食べ物も好きでした。リマで、初めての南米のバックパッカーズで私の果てしなくつたないスペイン語とドイツ語(なぜかオフィスの人がドイツで育った人だった)それに彼のやはり片言英語ともっとツタナイ絵(丸に何本か毛の生えたような絵を描くので、太陽?カニ?ウニ?と思ったらpulpo! pulpo! と叫ぶので、調べたらタコでした。南米で最初に覚えたスペイン語です。タコ。)でなんとかコミュニケーションをとりウマイシーフードの店にありつけた。
一押しはシェビーチェ!!生のシーフードをレモン汁、チリ、オニオン、トマト、コリアンダーなどでちょっとマリネしたものです。ペルー風お刺身?激しくおいしかったです。それからハツの串料理、アンティクーチョ!日本でもタンやハツ、レバー、砂肝、モツなどなど臓物モノ大好物の私にうってつけの一品でした。レストランで食べるとそれなりのお値段するので(特に高いというわけではないが)、はまりすぎてクスコの小汚い路上屋台で売ってた激安アンティークーチョにもトライしました。おいしかったんだけど、翌日チリの友人宅に着いてから数日間全身にすごい発疹が。現地の人も食べていたと言ったら、そのチリ人の友達に現地の人は免疫があるから気をつけなきゃだめだよと言われました。今後気をつけます。
あとペルー人は昔からモルモットを食べていたのです。マチュピチュではガイド曰く、台所にたくさん放し飼いしていて、料理に使っていたと。クスコの教会に入ったときも壁に飾ってあった最後の晩餐のような絵でひっくり返った丸焼きな形のモルモットが皿の上に描かれていました。こっちは当時家でモルモット飼っていた私は流石に食べませんでしたけど。



マチュピチュ


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昨日は映画 Babelバベル を見ました。私の行く劇場は月曜半額な上、公開直後だったので、ものすごく混んでいました。
日本、モロッコ、カリフォルニア・メキシコと舞台が来週からの私の旅と妙にシンクロしている上、日本シーンの女子高生の髪に私と同じ赤のストリークが入っていてちょっとムズムズしながら見てました。
南米に行くのは3,4年ぶりです。旅の前に前回の旅をダイジェストで。最初はキューバ。

オーストラリアから南米に行くチケットはなぜかバカ高いので、ワンワールドの世界周遊チケットで行った前回の旅。(そっちの方が安くついた。)でも、アメリカがキューバのことを嫌いなのでキューバ行きをワンワールドに含むことは出来ません。いじめです。メキシコまでのチケットを取って、そこから別料金で別チケットを買いました。

キューバの暮らしは裕福とは言えません。とにかくモノがないわ、建物は今にも崩れかけそうだわ。そして国際的な経済制裁によって外国との交易に制限があったので、車は味のあるクラシックカーがあちこちに走っています。出国制限の厳しいキューバではそんな状況とやっちゃいけないと言われると逆に無性にやりたくなる人のサガからか出国に対する一種の憧れを抱く人が結構います。話し始めて5分で結婚を打診されることも。
ただ、本当に外の暮らしがいいのかどうかは、人それぞれ。私の友達のキューバ人は以前はメルボルンでミュージシャンをやっていましたが、今はキューバに戻って音楽を続ける傍、キューバ音楽の源にもなっているアフリカ伝来のサンテリアという宗教の牧師さんになっています。私のハバナ滞在中も色んな人が相談にきてはその度にまじないのようなものやら、色んな儀式をやっていました。メルボルンのラテンミュージシャンやその仲間がハバナに来るときは皆彼を訪ねるので自称ハバナ駐在メルボルン大使館です。
チェゲバラを崇拝するメルボルン在住のラテン友人の一人は、モノに執着しない人なのでキューバでの暮らしは理想郷だと常々言っています。共産主義のキューバでは一生懸命働こうとゆったりしようと収入に差し障りはありません。医師など特別な職業でも給料は平等主義にのっとっています。そんなわけで皆ゆったり暮らしています。医療と教育は全面的に無料で、大学までタダでいけます。だからモノがない割りに、ブラジル、ペルーなど他の南米各地で多数みたストリートチルドレンや物売りの子供を見かけません。

外国人との接触制限はかなりあって、政府認定の宿でなければ、外国人を泊めるのは違法になります。どこも一定の宿泊料金で格安宿とかはありません。タクシーとかでない限り、外国人観光客を車に乗せるのも違法です。友達と皆で現地の人の車に乗ったとき、警察に見つかったら運転手の彼女だと言うように友達に言われました。
そして、キューバは音楽とシガーとラムとコーヒーな国です。普段はお茶・紅茶派の私もキューバでは行く家行く家でコーヒーを入れてもらってすっかりこの小さなカップに入った砂糖たっぷりのキューバコーヒーに慣れてしまいました。タバコも吸えない私には葉巻はどうでもいいアイテムですが、ラムは好きなので、安くておいしいラムを毎日満喫。現地の人は若い女の子もおばあさんもこのラムをストレートでグイグイいって流石です。私はコークなしではのめません。
音楽はやっぱり皆大好き。歌も演奏も踊りも盛んで、素敵に最高です。老いも若きも男も女もホント皆踊りがすごいの。サンテリア牧師の甥で4歳くらいの男の子がいたんだけど、その年にして、パター(キューバの打楽器)は叩くは、踊らせればサルサのステップを踏み、その上自分の叔母相手に体を震わせてとんでもなくセクシーなダンスを踊るので、ぶったまげました。

外国人の使う通貨と現地ペソの価値が格段に違うため、ハバナには外国人相手にお金を稼ごうという人も結構いるので、行った最初の数日は本当にいい人なのかお金が目当てなのかを常々考えなくてはならない状況に嫌気が差したりもしましたが、慣れてくれば大丈夫です。現地の人もこっちを見慣れて来るのでだんだん色々言ってこなくなります。ある時現地の女の子に道で呼び止められ、ハバナに良く来ているメルボルンのスーパーコンガ奏者に手紙を渡して欲しいといわれました。私がサンテリア牧師の所にたむろっているのを見て、メルボルンの人だとふんだらしい。あってます。皆よく見ています。

滞在中色々あったけれど、帰ってくると恋しくなるところです。交易制限のせいで独自の文化色豊かなすごく特別な忘れられない国です。






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新年明けましておめでとうございます。
私の年が始まりましたよ。私のご学友であらせられるダン夫人曰く「年賀状にするといまいちかわいくないんだよねー」、そんな猪な年です。中国人の干支にいたってはブタ年です。そんな2007年は、年女な私にはスバラシい年になるに違いない。どれだけスバラシいかというともう皆と分け合えるほどのスバラシさ加減。今年皆様に訪れる数々の幸せは私から回ってきたと思ってまず間違いないでしょう。世界平和。猪突猛進。

というわけで、帰ってきました、キャンプから。全部で5日。
メルボルンから南西の方角に3時間半程ドライブしたWarrnamboolというところ。(日本語表記はウォーナブルでいいのかな)。良いとこでした、本と。

ここのキャンプサイトの一角はもうチリ人村。集まる人々ももう20年以上も毎年同じスポットにキャラバンを乗り入れる人達で、私の友人家族もその一員。皆でっかいキャラバンやらテントやらその合体ものに住んでいて2,3週間滞在しています。
キッチンやリビングやベッドルームなど完備されてる上、皆冷蔵庫やらテレビやらDVDやら食器棚やハンガーラックなどなど持ち込んでてもう立派な家です。

tent
キャラバン脇テント内キッチンで食事を用意する友達の妹、現在双子妊娠中


ビーチまでは裏庭感覚、歩いて1分です。老いも若きもわいわいと楽しい時間を共有して、ラテン音楽が常に流れ、皆それぞれビーチに行ったり、釣りに行ったり、キャラバンパークの向かいにあるきれいな公園に行ったり、昼に夜にただただあっちの家(テント)やこっちの家(キャラバン)に集まって雑談したり、夜には大きなスクリーンを持ってきて野外映画を上映する人がいればマニーという南米で売ってるピーナッツの加工品やチュロス(スパニッシュドーナッツ)を作って売る人もいて、一緒に食事に呼ばれたり、昼から夜から好きな時に好きなだけ飲んで、ほんとに村のようでいい風景でした。一緒にたむろってる皆はチリからオーストラリアへの移住時代(私の身近にいるチリ人はだいたい20~30年前に来た人達が多い)からメルボルンで一緒に育った人達で昔からの顔なじみばかりでもう一族です、血縁関係でない親族。そしてその子供達も又、いとこや兄弟のように育っています。世代を超えて皆が交流しているのがすごく素敵。ラテンDJやラッパーを普段メルボルンでやっている人たちもこの”親族”で、家族と一緒にやって来ていて今週末はステージをビーチに持ち出して、ビーチラテンパーティーが行われる模様。私は用事があって先にメルボルンに戻ってきてしまいとっても残念。
何でも一昔前はオージーもラテン系もバラバラにキャラバンパークのあちこちに配置されていたらしいのですが、夜もずっと音楽を流したり騒いだりするラテン式ホリデーと、夜は静かに寝たいオージーキャンパーの間でいざこざが絶えず、ラテン系はパークの一番奥に皆追いやられた模様。でもおかげで極楽なラテン村が毎年出来上がっています。前述のラテン系キャンパーによって毎年行われるラテンビーチパーティーには地元のオージーの若者も聞きつけてわざわざ遊びに来るらしい。

それからそれから、Warrnamboolでは鮑が取れるのです。ア・ワ・ビ!あ・わ・び!友達のお父さんもアワビ漁ライセンスを持っていて、日に5個という制限付きでちょこちょこ取ってきます。私が滞在中もすごく大きいのをたくさん取ってきて嬉しそうでした。NYE(大晦日)のご馳走はイセエビにアワビにシーフードサラダというキャンプと思えぬ超豪華食事で幸せでした。

私は頼まれてナプキンで折り紙をしてプレゼンテーションのお手伝い。

最後はメルボルンに戻る昼の電車を逃して夕方まで待つというオチ付きで終わった私の年またぎキャンプ。
本当に楽しかったです。Muchas gracias, La Moras.



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